伊豆の踊子 川端康成

2014-4-1 云破天开 随笔 评论(0) 阅读(460)

第一章
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどり着いてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。
突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座布団をはずして、裏返しにそばに置いた。
「ええ…。」とだけ言って、私はその上に腰をおろした。坂道を走った息切れと驚きとで、?ありがとう。?という言葉が喉にひっかかって出なかったのだ。
踊子とま近に向かい合ったので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまだ連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた。
踊子は十七くらいに見えた。私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵型のりりしい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の印半纏を着た二十五六の男がいた。
私はそれまでにこの踊子を二度見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓をさげていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流しが来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰をおろして一心に見ていた。―あの日が修善寺で今夜が湯ヶ島なら、明日は天城を南に越えて湯ヶ野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。
そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから私はどぎまぎしてしまったのだ。
まもなく、茶屋の婆さんが私の別の部屋へ案内してくれた。平常使わないらしく戸障子がなかった。下をのぞくと美しい谷が目の届かないほど深かった。私は膚に粟粒をこしらえ、かちかちと歯を鳴らして身震いした。茶を入れに来た婆さんに、寒いというと、「おや、だんな様おぬれになってるじゃございませんか。こちらでしばらくおあたりなさいまし、さあ、おめしものをおかわかしなさいまし。」と、手を取るようにして、自分たちの居間へ誘ってくれた。
その部屋は炉が切ってあって、障子をあけると強い火気が流れて来た。私は敷居ぎわに立って躊躇した。水死人のように全身青ぶくれの爺さんが炉端にあぐらをかいているのだ。
瞳まで黄色く腐ったような目を物うげに私の方へ向けた。身の回りに古手紙や紙袋の山を築いて、その紙くずのなかに埋もれていると言ってもよかった。とうてい生物と思えない山の怪奇を眺めたまま、私は棒立ちになった。
「こんなお恥ずかしい姿をお見せいたしまして…。でも、うちのじじいでございますからご心配なさいますな。お見苦しくても、動けないのでございますから、このままで堪忍してやって下さいまし。」
そう断ってから、婆さんが話したところによると爺さんは長年中風を煩って、全身が不随になってしまっているのだそうだ。紙の山は、諸国から中風の療法を教えて来た手紙や、諸国から取り寄せた中風の薬の袋なのである。爺さんは峠を越える旅人から聞いたり、新聞の広告を見たりすると、その一つをも漏らさずに、全国から中風の療法を聞き、売薬を求めたのだそうだ。そして、それらの手紙や紙袋を一つも捨てずに身の回りに置いて眺めながら暮らして来たのだそうだ。長年の間にそれが古ぼけた反古の山を築いたのだそうだ。
私は婆さんに答える言葉もなく、囲炉裏の上にうつむいていた。山を越える自動車が家を揺すぶった。秋でもこんなに寒い、そしてまもなく雪に染まる峠を、なぜこの爺さんはおりないのだろうと考えていた。私の着物から湯気が立って、頭が痛むほど火が強かった。
婆さんは店に出て旅芸人の女と話していた。
「そうかねえ。この前連れていた子がもうこんなになつたのかい。いい娘(あんこ)になって、お前さんも結構だよ。こんなにきれいになったのかねえ。女の子は早いもんだよ。」
小一時間経つと、旅芸人たちが出立つらしい物音が聞こえて来た。私も落ち着いている場合ではないのだが、胸騒ぎするばかりで立ち上がる勇気が出なかった。旅慣れたと言っても女の足だから、十町や二十町遅れたって一走りに追いつけると思いながら、炉のそばでいらいらしていた。しかし踊子たちがそばにいなくなると、かえって私の空想は解き放たれたように生き生きと踊り始めた。彼らを送り出して来た婆さんに聞いた。
「あの芸人は今夜どこで泊まるんでしょう。」
「あんな者、どこで泊まるやらわかるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか。」
はなはだしい軽べつを含んだ婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ、と思ったほど私をあおり立てた。
雨足が細くなって、峰が明るんで来た。もう十分も待てばきれいに晴れ上がると、しきりに引き止められたけれども、じっとすわっていられなかった。
「爺さん、お大事になさいよ。寒くなりますからね。」と私は心から言って立ち上がった。
爺さんは黄色い眼を重そうに動かしてかすかにうなずいた。
「旦那さま、旦那さま。」と叫びながら婆さんが追っかけて来た。
「こんなにいただいてはもったいのうございます。申しわけございません。」
そして私のカバンを抱きかかえて渡そうとせずに、いくら断わってもその辺まで送ると言って承知しなかった。一町ばかりもちょこちょこついて来て、同じことを繰り返していた。
「もったいのうごさいます。お粗末いたしました。お顔をよく覚えております。今度お通りの時にお礼をいたします。この次もきっとお立ち寄り下さいまし。お忘れはいたしません。」
私は五十銭銀貨を一枚置いただけだったので、痛く驚いて涙がこぼれそうに感じているのだったが、踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった。
「どうもありがとう。お爺さんが一人だから帰ってあげて下さい。」と私が言うと、婆さんはやっとのことでカバンを離した。
暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。
第二章
トンネルの出口から白塗りのさくに片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。この模型のような展望の裾のほうに芸人たちの姿が見えた。六町と行かないうちに私は彼らの一行に追いついた。しかし急に歩調をゆるめることもできないので、私は冷淡なふうに女たちを追い越してしまった。十間程先きに一人歩いていた男が私を見ると立ち止まった。
「お足が早いですね。――いい塩梅に晴れました。」
私はほっとして男を並んで歩き始めた。男は次ぎ次ぎにいろんなことを私に聞いた。二人が話し出したのを見て、うしろから女たちがばたばた走り寄って来た。
男は大きい柳行李を背負っていた。四十女は小犬を抱いていた。上の娘が風呂敷包み、中の娘が柳行李、それぞれ大きい荷物を持っていた。踊子は太鼓とそのわくを負うていた。
四十女もぽつぽつ私に話しかけた。
「高等学校の学生さんよ。」と、上の娘が踊子にささやいた。私が振り返ると笑いながら言った。
「そうでしょう。それくらいのことは知っています。島へ学生さんが来ますもの。」
一行は大島の波浮の港の人たちだった。春に島を出てから旅を続けているのだが、寒くなるし、冬の用意はして来ないので、下田に十日ほどいて伊東温泉から島へ帰るのだと言った。大島と聞くと私は一層詩を感じて、また踊子の美しい髪を眺めた。大島のこともいろいろ尋ねた。
「学生さんがたくさん泳ぎに来るね。」踊子が連れの女に言った。
「夏でしょう。」と、私がふり向くと、踊子はどぎまぎして、
「冬でも…。」と、小声で答えたように思われた。
「冬でも?」
踊子はやはり連れの女を見て笑った。
「冬でも泳げるんですか。」と、私はもう一度言うと、踊子は赤くなって、非常にまじめな顔をしながら軽くうなずいた。
「ばかだ。この子は。」と、四十女が笑った。
湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。
荻乗や梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯ヶ野のわら屋根が麓に見えるようになったころ、私は下田までいっしょに旅をしたいと思い切って言った。彼は大変喜んだ。
湯ヶ野の木賃宿の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。
「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ。」
「それは、それは。旅は道連れ、世は情。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ上がってお休みないまし。」とむぞうさに答えた。娘たちは一時に私を見たが、至極なんでもないという顔で黙って、少し恥ずかしそうに私を眺めていた。
皆といっしょに宿屋の二階へ上がって荷物を降ろした。畳や襖も古びてきたなかった。
踊子が下から茶を運んで来た。私の前にすわると、真紅になりながら手をぶるぶる震わせるので茶碗が茶托から落ちかかり、落とすまいと畳に置く拍子に茶をこぼしてしまった。
あまりにひどいはにかみようなので、私はあっけにとられた。
「まあ!いやらしい。この子は色気づいたんだよ。あれあれ…。」と、四十女があきれはてたというふうに眉をひそめて手拭を投げた。踊子はそれを拾って、窮屈そうに畳をふいた。
この意外な言葉で、私はふと自分を省みた。峠の婆さんにあおり立てられた空想がぽきんと折れるのを感じた。
そのうちに突然四十女が、
「書生さんの紺飛白はほんとにいいねえ。」と言って、しげしげ私を眺めた。
「この方の飛白は民次と同じ柄だね。そうだね。同じ柄じゃないかね。」
そばの女に幾度もだめを押してから私に言った。
「国に学校行きの子供を残してあるんですが、その子を今思い出しましてね。その子の飛白と同じなんでですもの。この節は紺飛白もお高くてほんとに困ってしまう。」
「どこの学校です。」
「尋常五年なんです。」
「へえ、尋常五年とはどうも…。
「甲府の学校へ行ってるんでございますよ。長く大島におりますけれど、国は甲斐の甲府でごさいましてね。」
一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊まることとばかり思っていたのだった。私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった。
そこの内湯につかっていると、あとから男がはいって来た。自分が二十四になることや、女房が二度とも流産と早産とで子供を死なせたことなぞを話した。彼は長岡温泉の印半纏を着ているので、長岡の人間だと私は思っていたのだった。また顔つきも話ぶりも相当知識的なところから、物好きか芸人の娘にほれたかで、荷物を持ってやりながらついて来ているのだと想像していた。
湯から上がると私はすぐに昼飯を食べた。湯ヶ島を朝の八時に出たのだったが、その時はまだ三時前だった。
男が帰りかけに、庭から私を見上げてあいさつをした。
「これで柿でもおあがりなさい。二階から失礼。」と言って、私は金包みを投げた。男は断って行き過ぎようとしたが、庭に紙包みが落ちたままなので、引き返してそれを拾うと、「こんなことをなさっちゃいけません。」とほうり上げた。それが藁屋根の上に落ちた。
私がもう一度投げると、男は持って帰った。
タ暮れからひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁って音を高めた。こんな雨では踊子たちが流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっとすわっていられないので二度も三度も湯にはいってみたりしていた。部屋は薄暗かった。隣室との間の襖を四角く切り抜いたところに鴨居から電燈が下がっていて、一つの明かりが二室兼用になっているのだった。
ととんとんとん、激しい雨の音の遠くに太鼓の響きがかすかに生まれた。私はかき破るように雨戸をあけて体を乗り出した。太鼓の音が近づいてくるようだ。雨風が私の頭をたたいた。私は眼を閉じて耳を澄ましながら、太鼓がどこをどう歩いてここへ来るかを知ろうとした。まもなく三味線の音が聞こえた。女の長い叫び声が聞こえた。にぎやかな笑い声が聞こえた。そして芸人たちは木賃宿と向かい合った料理屋のお座敷に呼ばれているのだとわかった。二三人の女の声と三四人の男の声とが聞き分けられた。そこがすめばこちらへ流して来るのだろうと待っていた。しかしその酒宴は陽気を越えてばか騒ぎになって行くらしい。女の金切り声が時々稲妻のようにやみ夜に鋭く通った。私は神経をとがらせて、いつまでも戸をあけたままじっとすわっていた。太鼓の音が聞こえる度に胸がほうと明るんだ。
「ああ、踊子はまだ宴席にすわっていたのだ。すわって太鼓を打っているのだ。」
太鼓がやむとたまらなかった。雨の音の底に私は沈み込んでしまった。
やがて、皆が追っかけっこをしているのか、踊り回っているのか、乱れた足音がしばらく続いた。そして、ぴたと静まり返ってしまった。私は目を光らせた。この静けさが何であるかをやみを通して見ようとした。踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。
雨戸を閉じて床にはいっても胸が苦しかった。また湯にはいった。湯を荒々しくかき回した。雨が上がって、月が出た。雨に洗われた秋の夜がさえざえと明るんだ。はだしで湯殿を抜け出して行ったって、どうともできないのだと思った。二時を過ぎていた。

第三章
あくる朝の九時過ぎに、もう男が私の宿に訪ねて来た。起きたばかりの私は彼を誘って湯に行った。美しく晴れ渡った南伊豆の小春日和で、水かさの増した小川が湯殿の下に暖く日を受けていた。自分にも昨夜の悩ましさが夢のように感じられるのだったが、私は男に言ってみた。
「昨夜はだいぶ遅くまでにぎやかでしたね。」
「なあに。聞こえましたか。」
「聞こえましたとも。」
「この土地の人なんですよ。土地の人はばか騒ぎをするばかりで、どうもおもしろくありません。」
彼が余りに何げないふうなので、私は黙ってしまった。
「向こうのお湯にあいつらが来ています。ーほれ、こちらを見つけたと見えて笑っていやがる。」
彼に指さされて、私は川向こうの共同湯のほうを見た。湯気の中に七八人の裸體がぽんやり浮かんでいた。
ほの暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私たちを見つけ喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。頭がぬぐわれたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。
踊子の髪が豊か過ぎるので、十七八に見えていたのだ。その上娘盛りのように装わせてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。
男といっしょに私の部屋に帰っていると、まもなく上の娘が宿の庭へ来て菊畑を見ていた。踊子が橋を半分ほど渡っていた。四十女が共同湯を出て二人のほうを見た。踊子はきゅっと肩をつぼめながら、しかられるから帰ります、というふうに笑って見せて急ぎ足に引き返した。四十女が橋まで来て声を掛けた。
「お遊びにいらっしゃいまし。」
「お遊びにいらっしゃいまし。」
上の娘も同じことを言って、女たちと帰って行った。男はとうとう夕方まですわり込んでいた。
夜、紙類を卸して回る行商人と碁を打っていると、宿の庭に突然太鼓の書が聞こえた。
私は立ち上がろうとした。
「流しが釆ました。」
「ううん、つまらない。あんなもの。さ、さ、あなたの手ですよ。私ここへ打ちました。」と、碁盤をつつきながら紙屋は勝負に夢中だった。私はそわそわしているうちに芸人たちはもう帰り道らしく、男が庭から、
「今晩は。」と声を掛けた。
私は廊下に出て手招きした。芸人たちは庭でちょっとささやき合ってから玄関へ回った。
男の後ろから娘が三人順々に、
「今晩は。」と、廊下に手をついて芸者のようにお辞儀をした。碁盤の上では急に私の負け色が見え出した。
「これじゃしかたがありません。投げですよ。」
「そんなことがあるもんですか。私のほうが悪いでしょう。どっちにしても細かいです。」
紙屋は芸人のほうを見向きもせずに、碁盤の目を一つ一つ数えてから、ますます注意深く打って行った。女たちは太鼓や三味線を部屋のすみにかたづけると、将棋盤の上で五目並べを始めた。そのうちに私は勝っていた碁を負けてしまったのだが、紙屋は、
「いかがですもう一石、もう一石願いましょう。」と、しつっこくせがんだ。しかし私が意味もなく笑っているばかりなので紙屋はあきらめて立ち上がった。
娘たちが碁盤の近くへ出て来た。
「今夜はまだこれからどこかへ回るんですか。」
「回るんですが。」と、男は娘たちのほうを見た。
「どうしよう。今夜はもうよしにして遊ばせていただくか。」
「うれしいね。うれしいね。」
「しかられやしませんか。」
「なあに、それに歩いたってどうせお客がないんです。」
そして五目並べなぞをしながら、十二時過ぎまで遊んで行った。
踊子が帰ったあとは、とても眠れそうもなく頭がさえざえしているので、私は廊下に出て呼んでみた。
「紙屋さん、紙屋さん。」
「よう…。」と、六十近い爺さんが部屋から飛び出し、勇み立って言った。
「今晩は徹夜ですぞ。打ち明かすんですぞ。」
私もまた非常に好戦的な気持ちだった。

第四章
その次の朝八時が湯ケ野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打ち帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。二階の戸障子がすっかりあけ放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私は面くらって廊下に突っ立っていた。
私の足もとの寝床で、踊子がまっかになりながら両の掌ではたと顔を押えてしまった。
彼女は中の娘と一つの床に寝ていた。昨夜の濃い化粧が残っていた。唇と眦の紅が少しにじんでいた。この情緒的な寝姿が私の胸を染めた。彼女はまぷしそうにくるりと寝返りして、掌で顔を隠したまま蒲団をすべり出ると、廊下にすわり、「昨晩はありがとうどざいました。」と、きれいなお辞儀をして、立ったままの私をまごつかせた。
男は上の娘と同じ床に寝ていた。それを見るまで私は、二人が夫婦であることをちっとも知らなかったのだった。
「大変すみませんのですよ。今日立つつもりでしたけれど、今晩お座敷がありそうでございますから、私たちは一日延ばしてみることにいたしました。どうしても今日お立ちになるなら、また下田でお目にかかりますわ。私たちは甲州屋という宿屋にきめておりますから、すぐおわかりになります。」と四十女が寝床から半ば起き上がって言った。私は突っ放されたように感じた。
「明日にしていただけませんか。おふくろが一日延ばすって承知しないもんですからね。道連れのあるほうがよろしいですよ。明日いっしょに参りましょう。」と男が言うと、四十女も付け加えた。
「そうなさいましよ。せっかくお連れになっていただいて、こんなわがままを申しちゃすみませんけれどー。明日は槍が降っても立ちます。明後日が旅で死んだ赤ん坊の四十九日でございましてね、四十九日には心ばかりのことを、下田でしてやりたいと前々から思って、その日までに下田へ行けるように旅を急いだのでございますよ。そんなことを申しちゃ失礼ですけれど、不思議なご縁ですもの、明後日はちょっと拝んでやって下さいましな。」
そこで私は出立を延ばすことにして階下へ降りた。皆が起きて来るのを待ちながら、きたない帳場で宿の者と話していると、男が散歩に誘った。街道を少し南へ行くときれいな橋があった。橋の欄干によりかかって、彼はまた身の上話を始めた。東京である新派役者の群れにしばらく加わっていたとのことだった。今でも時々大島の港で芝居をするのだそうだ。彼らの風呂敷から刀の鞘が足のようにはみだしていたのだったが、お座敷でも芝居のまねをして見せるのだと言った。柳行李の中はその衣裳や鍋茶碗なぞの世帯道具なのである。
「私は身を誤った果てに落ちぶれてしまいましたが、兄が甲府で立派に家の跡目を立てていてくれます。だから私はまあ入らない体なんです。」
「私はあなたが長岡温泉の人だとばかり思っていましたよ。」
「そうでしたか。あの上の娘が女房ですよ。あなたより一つ下、十九でしてね、旅の空で二度目の子供を早産しちまって、子供は一週間ほどして息が絶えるし、女房はまだ体がしっかりしないんです。あの婆さんは女房の実のおふくろなんです。踊子は私の実の妹ですが。」
「へえ。十四になる妹があるっていうのはー。」
「あいつですよ。妹にだけはこんなことをさせたくないと思いつめていますが、そこにはまたいろんな事情がありましてね。」
それから、自分が栄吉、女房が千代子、妹が薫ということなぞを教えてくれた。もう一人の百合子という十七の娘だけが大島生まれで雇いだとのことだった。栄吉はひどく感傷的になって泣き出しそうな顔をしながら河瀬を見つめていた。
引き返して来ると、白粉を洗い落とした踊子が道ばたにうずくまって犬の頭をなでていた。私は自分の宿に帰ろうとして言った。
「遊びにいらっしゃい」
「ええ。でも一人ではー。」
「だから兄さんと。」
「すぐに行きます。」
まもなく栄吉が私の宿へ来た。
「皆は?」
「女どもはおふくろがやかましいので。」
しかし、二人がしばらく五目並べをやっていると、女たちが橋を渡ってどんどん二階へ上がって来た。いつものようにていねいなお辞儀をして廊下にすわったままためらっていたが、一番に千代子が立ち上がった。
「これは私の部屋よ。さあどうぞご遠慮なしにお通り下さい。」
一時間ほど遊んで芸人たちはこの宿の内湯へ行った。いっしょにはいろうとしきりに誘われたが、若い女が三人もいるので、私はあとから行くとごまかしてしまった。すると踊子が一人すぐに上がって来た。
「肩を流してあげますからいらっしゃいませって、姉さんが。」と、千代子の言葉を伝えた。
湯には行かずに私は踊子と五目を並べた。彼女は不思議に強かった。勝継をやると、栄吉や他の女はぞうさなく負けるのだった。五目ではたいていの人に勝つ私が力いっぱいだった。わざと甘い石を打ってやらなくともいいのが気持ちよかった。二人きりだから、初めのうち彼女は遠くのほうから手を伸ばして石をおろしていたが、だんだんわれを忘れて一心に碁盤の上へおおいかぶさって来た。不自然なほど美しい黒髪が私の胸に触れそうになった。突然、ぱっと紅くなって、「ごめんなさい、しかられる。」と石を投げ出したまま飛び出して行った。共同湯の前におふくろが立っていたのである。千代子と百合子もあわてて湯から上がると、二階へは上がって来ずに逃げて帰った。
この日も、栄吉は朝から夕方まで私の宿に遊んでいた。純朴で親切らしい宿のおかみさんが、あんな者にご飯を出すのはもったいないと言って、私に忠告した。
夜、私が木賃宿に出向いて行くと、踊子はおふくろに三味線を習っているところだった。
私を見るとやめてしまったが、おふくろの言葉でまた三味線を抱き上げた。歌う声が少し高くなる度に、おふくろが言った。
「声を出しちゃいけないって言うのに。」
栄吉は向かい側の料理屋の二階座敷に呼ばれて何かうなっているのが、こちらから見えた。
「あれはなんです。」
「あれー謡(うたい)ですよ。」
「謡は変だな。」
「八百屋だから何をやり出すかわかりゃしません。」
そこへこの木賃宿の間を借りて鳥屋をしているという四十前後の男が襖をあけて、ご馳走をすると娘たちを呼んだ。踊子は百合子といっしょに箸を持って隣りの間へ行き、鳥屋が食べ荒したあとの鳥鍋をつついていた。こちらの部屋へいっしょに立って来る途中で、鳥屋が踊子の肩を軽くたたいた。おふくろが恐ろしい顔をした。
「こら。この子にさわっておくれでないよ。生娘なんだからね。」
踊子はおじさんおじさんと言いながら、鳥屋に「水戸黄門漫遊記」を読んでくれとたのんだ。しかし鳥屋はすぐに立って行った。続きを読んでくれと私に直接言えないので、おふくろからたのんでほしいようなことを、踊子がしきりに言った。私は一つの期待を持って講談本を取り上げた。はたして踊子がするすると近寄って来た。私が読み出すと、彼女は私の肩にさわるほどに顔を寄せて真剣な表情をしながら、眼をきらきら輝かせて一心に私の額をみつめ、またたき一つしなかった。これは彼女が本を読んでもらう時の癖らしかった。さっきも鳥屋とほとんど顔を重ねていた。私はそれを見ていたのだった。この美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊子のいちばん美しい持ちものだった二重瞼の線が言いようなくきれいだった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うという言葉が彼女にはほんとうだった。
まもなく、料理屋の女中が踊子を迎えに来た。踊子は衣裳をつけて私に言った。
「すぐもどって来ますから、待っていて続きを読んで下さいね。」
それから廊下に出て手をついた。
「行って参ります。」
「決して歌うんじゃないよ。」とおふくろが言うと、彼女は太鼓をさげて軽くうなずいた。
おふくろは私を振り向いた。
「今ちょうど声変わりなんですからー。」
踊子は料理屋の二階にきちんとすわって太鼓を打っていた。その後姿が隣り座敷のことのように見えた。太鼓の音は私の心を晴れやかに踊らせた。
「太鼓がはいるとお座敷が浮き立ちますね。」とおふくろも向こうを見た。
千代子も百合子も同じ座敷へ行った。
一時間ほどすると四人いっしょに帰って来た。
「これだけー。」と、踊子は握りこぶしからおふくろの掌へ五十銭銀貨をざらざら落とした。私はまたしばらく「水戸黄門漫遊記」を口読した。彼らはまた旅で死んだ子供の話をした。水のように透き通った赤ん坊が生まれたのだそうである。泣く力もなかったが、それでも一週間息があったそうである。
好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼らの胸にもしみ込んで行くらしかった。私はいつの間にか大島の彼らの家へ行くことにきまってしまっていた。
「爺さんのいる家ならいいね。あすこなら広いし、爺さんを追い出しとけば静かだから、いつまでいなさってもいいし、勉強もおできなさるし。」なぞと彼ら同士で話し合っては私に言った。
「小さい家を二つ持つておりましてね、山のほうの家はあいているようなものですもの。」
また正月には私が手伝ってやって波浮の港で皆が芝居をすることになっていた。
彼らの旅心は、最初私が考えていたほどせちがらいものでなく、野のにおいを失わないのんきなものであることも、私にわかって来た。親子兄弟であるだけに、それぞれ肉親らしい愛情でつながり合っていることも感じられた。雇い女の百合子だけは、はにかみ盛りだからでもあるが、いつも私の前でむっつりしていた。
夜半を過ぎてから私は木賃宿を出た。娘たちが送って出た。踊子が下駄を直してくれた。
踊子は門口から首を出して、明るい空を眺めた。
「ああ、お月さま。ー明日は下田、うれしいな。赤ん坊の四十九日をして、おっかさんに櫛を買ってもらって、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行って下さいましね。」
下田の港は、伊豆相模の温泉場なぞを流して歩く旅芸人が、旅の空での故郷としてなつかしがるような空気の漂った町なのである。

第五章
芸人たちはそれぞれに天城を越えた時と同じ荷物を持った。おふくろの腕の輪に小犬が前足を載せて旅慣れた顔をしていた。湯ヶ野を出はずれると、また山にはいった。海の上の朝日が山の腹を温めていた。私たちは朝日のほうを眺めた。河津川の行く手に河津の浜が明るく開けていた。
「あれが大島なんですね。」
「あんなに大きく見えるんですもの、いらっしゃいましね。」と踊子が言った。
秋空が晴れ過ぎたためか、日に近い海は春のようにかすんでいた。ここから下田まで五里歩くのだった。しばらくの間海が見え隠れしていた。千代子はのんびりと歌を歌い出した。
途中で少し険しいが二十町ばかり近い山越えの間道を行くか、楽な本街道を行くかと言われた時に、私はもちろん近路を選んだ。
落葉ですべりそうな胸先き上りの木下路だった。息が苦しいものだから、かえってやけ半分に私は膝頭を掌で突き伸ばすようにして足を早めた。見る見るうちに一行は遅れてしまって、話し声だけが木の中から聞こえるようになった。踊子が一人裾を高く掲げて、とっとっと私について来るのだった。一間ほどうしろを歩いて、その間隔を縮めようとも伸ばそうともしなかった。私が振り返って話しかけると、驚いたようにほほえみながら立ち止まって返事をする。踊子が話しかけた時に、追いつかせるつもりで待っていると、彼女はやはり足を止めてしまって、私が歩き出すまで歩かない。道が折れ曲がって一層険しくなるあたりからますます足を急がせると、踊子は相変わらず一間うしろを一心に登って来る。山は静かだった。ほかの者たちはずっと遅れて話し声も聞こえなくなっていた。
「東京のどこに家があります。」
「いいや、学校の寄宿舎にいるんです。」
「私も東京は知ってます、お花見時分に踊りに行ってー。小さい時でなんにも覚えていません。」
それからまた踊子は、
「お父さんありますか。」とか、
「甲府へ行ったことありますか。」とか、ぽつりぽつりいろんなことを聞いた。下田へ着けば活動を見ることや、死んだ赤ん坊のことなぞを話した。
山の頂上へ出た。踊子は枯れ草の中の腰掛けに太鼓を降ろすと手巾(ハンカチ)で汗をふいた。そして自分の足のほこりを払おうとしたが、ふと私の足もとにしゃがんで袴の裾を払ってくれた。私が急に身を引いたものだから、踊子はこつんと膝を落とした。かがんだまま私の身の回りをはたいて回ってから、掲げていた裾をおろして、大きい息をして立っている私に、「お掛けなさいまし。」と言った。
腰掛けのすぐ横へ小鳥の群が渡って来た。鳥がとまる枝の枯れ葉がかさかさ鳴るほど静かだった。
「どうしてあんなに早くお歩きになりますの。」
踊子は暑そうだった。私が指でべんべんと太鼓をたたくと小鳥が飛び立った。
「ああ水が飲みたい。」
「見て来ましょうね。」
しかし、踊子はまもなく黄ばんだ雑木の間からむなしく帰って来た。
「大島にいる時は何をしているんです。」
すると踊子は唐突に女の名前を二つ三つあげて、私に見当のつかない話を始めた。大島ではなくて甲府の話らしかった。尋常二年まで通った小学校の友だちのことらしかった。
それを思い出すままに話すのだった。
十分ほど待つと若い三人が項上にたどりついた。おふくろはそれからまた十分遅れて着いた。
下りは私と栄吉とがわざと遅れてゆっくり話しながら出発した。二町ばかり歩くと、下から踊子が走って来た。
「この下に泉があるんです。大急ぎでいらして下さいって、飲まずに待っていますから。」水と聞いて、私は走った。木陰の岩の間から清水がわいていた。泉のぐるりに女たちが
立っていた。
「さあ、お先きにお飲みなさいまし。手を入れると濁るし、女のあとはきたないだろうと思って。」とおふくろが言った。
私は冷たい水を手にすくって飲んだ。女たちは容易にそこを離れなかった。手拭をしぼって汗を落としたりした。
その山をおりて下田街道に出ると、炭焼きの煙が幾つも見えた。路傍の材木に腰をおろして休んだ。踊子は道にしゃがみながら、桃色の櫛で犬のむく毛をすいてやっていた。
「歯が折れるじゃないか。」とおふくろがたしなめた。
「いいの。下田で新しいのを買うもの。」
湯ヶ野にいる時から私は、この前髪にさした櫛をもらって行くつもりだったので、犬の毛をすくのはいけないと思った。
道の向こう側にたくさんある篠竹の束を見て、杖にちょうどいいなぞと話しながら、私と栄吉とは一足先きに立った。踊子が走って追っかけて来た。自分の背より長い太い竹を持っていた。
「どうするんだ。」と栄吉が聞くと、ちょっとまごつきながら私に竹をつきつけた。
「杖にあげます。一番太いのを抜いて来た。」
「だめだよ。太いのは盗んだとすぐわかって、見られると悪いじゃないか。返して来い。」
踊子は竹束のところまで引き返すと、また走って来た。今度は中指くらいの太さの竹を私にくれた。そして、田の畦に背中を打ちつけるように倒れかかって、苦しそうな息をしながら女たちを待っていた。
私と栄吉とは絶えず五六間先を歩いていた。
「それは、抜いて金歯を入れさえすればなんでもないわ。」と、踊子の声がふと私の耳にはいったので振り返ってみると、踊子は千代子と並んで歩き、おふくろと百合子とがそれに少し遅れていた。私の振り返ったのに気づかないらしく千代子が言った。
「それはそう。そう知らしてあげたらどう。」
私のうわさらしい。千代子が私の歯並びの悪いことを言ったので、踊子が金歯を持ち出したのだろう。顔の話らしいが、それが苦にもならないし、聞き耳を立てる気にもならないほどに、私は親しい気持ちになっているのだった。しばらく低い声が続いてから踊子の言うのか聞こえた。
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」
この物言いは単純であけっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だとすなおに感じることができた。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏がかすかに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性でゆがんでいるときびしい反省を重ね、その息苦しいゆううつに堪えきれないで伊豆の旅に出て来ているのだった。
だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなくありがたいのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。
途中、ところどころの村の入口に立て札があった。
――物ごい旅芸人村に入るべからず。

第六章
甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちのあとから屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓ぎわにすわると、屋根裏が頭につかえるのだった。
「肩は痛くないかい。」と、おふくろは踊子に幾度もだめを押していた。
「手は痛くないかい。」
踊子は太鼓を打つ時の手まねをしてみた。
「痛くない。打てるね、打てるね。」
「まあよかったね。」
私は太鼓をさげてみた。
「おや、重いんだな。」
「それはあなたの思っているより重いわ。
あなたのカバンより重いわ。」と踊子が笑った。
芸人たちは同じ宿の人々とにぎやかにあいさつをかわしていた。やはり芸人や香具師(やし)のような連中ばかりだった。下田の港はこんな渡り鳥の巣であるらしかった。踊子はちょこちょこ部屋へはいって来た宿の子供に銅貨をやっていた。私が甲州屋を出ようとすると、踊子が玄関に先回りしていて下駄をそろえてくれながら、
「活動につれて行って下さいね。」と、またひとり言のようにつぶやいた。
無頼漢のような男に途中まで道を案内してもらって、私と栄吉とは前町長が主人だという宿屋へ行った。湯にはいって、栄吉といっしょに新しい魚の昼食を食った。
「これで明日の法事に花でも買って供えて下さい。」
そう言ってわずかばかりの包金を栄吉に持たせて帰した。私は明日の朝の船で東京に帰らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都合があると言ったので芸人たちも強いて止めることはできなかった。
昼飯から三時間とたたないうちに夕飯をすませて、私は一人下田の北へ橋を渡った。下田富士によじ登って港を眺めた。帰りに甲州屋へ寄ってみると、芸人たちは鳥鍋で飯を食っているところだった。
「一口でも召し上がって下さいませんか。女が箸を入れてきたないけれども、笑い話の種になりますよ。」と、おふくろは行李から茶碗と箸を出して、百合子に洗って来させた。
明日が赤ん坊の四十九日だから、せめてもう二日だけ出立を延ばしてくれと、またしても皆が言ったが、私は学校を楯に取って承知しなかった。おふくろは繰り返し言った。
「それじゃ冬休みには皆で船まで迎えに行きますよ。日を知らせて下さいましね。お待ちしておりますよ。宿屋へなんぞいらしちゃいやですよ、船まで迎えに行きますよ。」
部屋に千代子と百合子しかいなくなった時活動に誘うと、千代子は腹を押さえてみせて、「体が悪いんですもの、あんなに歩くと弱ってしまって。」と、あおい顔でぐったりしていた。百合子はかたくなってうつむいてしまった。踊子は階下で宿の子供と遊んでいた。
私を見るとおふくろにすがりついて活動に行かせてくれとせがんでいたが、顔を失ったようにぼんやり私のところにもどって下駄を直してくれた。
「なんだって。一人で連れて行ってもらったらいいじゃないか。」と、栄吉が話し込んだけれども、おふくろが承知しないらしかった。なぜ一人ではいけないのか、私は実に不思議だった。玄関を出ようとすると踊子は犬の頭をなでていた。私が言葉を掛けかねたほどによそよそしいふうだった。顔を上げて私を見る気力もなさそうだった。
私は一人で活動に行った。女弁士が豆洋燈で説明を読んでいた。すぐに出て宿へ帰った。
窓敷居に肘をついて、いつまでも夜の町を眺めていた。暗い町だった。遠くから絶えずかすかに太鼓の音が聞こえて来るような気がした。わけもなく涙がぽたぽた落ちた。

第七章
出立の朝、七時に飯を食っていると、栄吉が道から私を呼んだ。黒紋附の羽織を着込んでいる。私を送るための礼装らしい。女たちの姿が見えない。私はすばやく寂しさを感じた。栄吉が部屋へ上がって来て言った。
「皆もお送りしたいのですが、昨夜おそく寝て起きられないので失礼させていただきました。冬はお待ちしているから是非と申しておりました。」
町は秋の朝風が冷たかった。栄吉は途中で敷島四箱と柿とカオールという口中清涼剤とを買ってくれた。
「妹の名が薫ですから。」と、かすかに笑いながら言った。
「船の中で蜜柑はよくありませんが、柿は船酔いにいいくらいですから食べられます。」
「これをあげましょうか。」
私は鳥打ち帽を脱いで栄吉の頭にかぶせてやった。そしてカバンの中から学校の制帽を出してしわを伸ばしながら、二人で笑った。
乗船場に近づくと、海ぎわにうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。そばに行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。昨夜のままの化粧が私を一層感情的にした。眦(まなじり)の紅がおこっているかのような顔に幼いりりしさを与えていた。
栄吉が言った。
「ほかの者も来るのか。」
踊子は頭を振った。
「皆まだ寝ているのか。」
踊子はうなずいた。
栄吉が船の切符とはしけ券とを買いに行った間に、私はいろいろ話しかけて見たが、踊子は掘割が海に入るところをじっと見おろしたまま一言も言わなかった。私の言葉が終わらない先き終わらない先きに、何度となくこくりこくりうなずいて見せるだけだった。
そこへ、「お婆さん、この人がいいや。」と、土方風の男が私に近づいて来た。
「学生さん、東京へ行きなさるのだね。あんたを見込んで頼むのだがね、この婆さんを東京へ連れてってくんねえか。かわいそうな婆さんだ。伜が蓮台寺の銀山に働いていたんだがね、今度の流行性感冒てやつで伜も嫁も死んじまったんだ。こんな孫が三人も残っちまったんだ。どうにもしょうがねえから、わしらが相談して国へ帰してやるところなんだ。
国は水戸だがね、婆さん何もわからねえんだから、霊岸島へ着いたら、上野の駅へ行く電車に乗せてやってくんな。めんどうだろうがな、わしらが手を合わして頼みてえ。まあこのありさまを見てやってくれりゃ、かわいそうだと思いなさるだろう。」
ぽかんと立っている婆さんの背には、乳飲み子がくくりつけてあった。下が三つ上が五つくらいの二人の女の子が左右の手につかまっていた。きたない風呂敷包みから大きい握り飯と梅干とが見えていた。五六人の鉱夫が婆さんをいたわっていた。私は婆さんの世話を快く引き受けた。
「頼みましたぞ。」
「ありがてえ。わしらが水戸まで送らにゃならねえんだが、そうもできねえでな。」なぞと鉱夫たちはそれぞれ私にあいさつした。
はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子につかまろうとして振り返った時、さようならを言おうとしたが、それもよして、もう一ぺんただうなずいて見せた。はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。
汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄干にもたれて沖の大島を一心に眺めていた。踊子に別れたのは遠い昔であるような気持ちだった。婆さんはどうしたかと船室をのぞいてみると、もう人々が車座に取り囲んで、いろいろと慰めているらしかった。私は安心して、その隣りの船室にはいった。相模灘は波が高かった。すわっていると、時々左右に倒れた。船員が小さい金だらいを配って回った。私はカバンを枕にして横たわった。頭がからっぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。私の横に少年が寝ていた。河津の工場主の息子で入学準備に東京へ行くのだったから、一高の制帽をかぶっている私に好意を感じたらしかった。少し話してから彼は言った。
「何かご不幸でもおありになったのですか。」
「いいえ、今人に別れて来たんです。」
私は非常にすなおに言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただすがすがしい満足の中に静かに眠っているようだった。
海はいつのまに暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。膚が寒く腹がすいた。少年が竹の皮包を開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持ちだった。
明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、至極あたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに溶け合って感じられた。
船室の洋燈が消えてしまった。船に積んだ生魚と潮のにおいが強くなった。まっくらななかで少年の体温に温まりながら、私は涙を出任せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、そのあとには何も残らないような甘い快さだった。

終わり




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